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2012年8月13日 (月)

植物との会話から思うこと(その2)

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以前にも、植物にも心が通じるような気がすることを書きましたが、畑をするようになって、やっぱりそんな気がします。(以前の記事→植物との会話から思うこと その1

実は、私、畑のお野菜たちを、いつも名前で呼んで、話をしながら世話しているんですが、仕事などで、数日水やりを他の人に頼んでいる間に元気がなくなった植物が、数日間話しかけてると、雨が降らなくてもまた元気になったりするんです。
偶然と言えば偶然ですし、微妙な気温の変化などの影響は絶対にあるのですが、それでも、きっとそれだけじゃないような気がします。

今日、ひさしぶりに友達のチカちゃんとランチした時に、「子供に良い食べ物を食べさせてあげるのは大切だけど、子供は食べ物だけで育つわけじゃない」という話が出たのですが、植物も同じなんじゃないかと思います。

ですので、大規模な農業をしてらっしゃる方は、そんな暇ないかもしれませんが、家庭菜園などやってらっしゃる方で、話をしてない方は、ちょっと試してみてください。

私の場合は、名前は単純で、ピーマンの木はどれも全部ピーちゃん、オクラならクラたん、きゅうりならキューちゃん。。。などと呼んでます。

そして、動物とか小さい子供と話すように普通に話します。

特に、収穫作業の時は、「ありがとね~。じゃあ、もらうよ~。」と1個1個に言ってから切ります

枝の整理で、ハサミを入れるときも、突然切られたら嫌だろうと思うので、「切るよ~。」と声をかけて切ります。
お水をあげる時は、「喉渇いたね~。お水飲んでね~。」とか、そんな感じです。

ちなみに、これは畑のお野菜だけでなく、道端の草花など摘む場合も、一枚ずつ、一本ずつ、同じようにお礼を言い、来てくれるようにお願いして摘みます。(近くに人がいたら心の中だけで。)
だからと言って、むやみやたらに摘むのも良くないと思うのですが、理由とお礼を言うと、喜んで摘まれてくれることもあるんじゃないかと思います。

ただ、草取りは、ちょっと微妙な気持ちになります。
短期的な視点で、人間にとって有益か有害か決めて、植物を選んで抜いてしまうことになるから

お寺で坐禅の後の作務で、草取りしてる時なんかも、「他の命を尊びながら、今、自分の手で雑草の命を奪ってる」と思うことがあります。

でも、人間の住まわせてもらってる空間は、その時点で、すでに自然のバランスを壊してしまっているので、一旦手を出した以上、心を込めて、人間の立場から見て整然とした状態を作ってあげることも大切かもしれません

“何をするかより、どんな気持ちでその行為をするか”が大切なのかなぁと思ったりします。(大規模な自然破壊は別ですが。)

心の中もよく見て手入れしないと、いつの間にか余計な汚れが溜まってしまうように、お庭も、無関心や怠慢で、手入れせず雑草だらけになってしまった場所って、ちょっと空気がどんよりしてしまうので

「多くの人が気持ちよく暮らすために、いずれにせよ誰かが草の命を奪わないといけないなら、自分が「ごめんね」と言いながら丁寧に抜いてあげればいいのかも?」
とも思いながら、自分から草取りの役を選んでみたりする今日この頃です。

そんな私を、草の方は、“きれいごと”言う偽善的な人間だと思っているのかもしれません。

※トップの写真は、チカちゃんに苗をもらったシナモンバジルです。今は花ざかり!

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